栗田町は長野駅東口の東南に位置します。中央に日吉大神社(通称・栗田神社)が鎮座し、緑が豊かで歴史の重みを感じます。
一方、近年、土地区画整理事業が急速に進み、駅に近い利便性から住宅やマンションの建設が続いており、発展途上にあります。
■栗田ふれあい会館の地点
→北緯36度38分14秒 東経138度11分40秒
「中央の緑地が日吉大神社」(H.25.10.1)
*最寄駅 : 長野駅(東口側)
駅から栗田ふれあい会館までの直線距離約800m
徒歩約15分
1.長野駅
長野駅の住所を知っている人は少ないだろう。実は栗田である。
明治21年(1888年)信越線直江津~長野間が開通し長野駅ができた。当時、鉄道は敬遠されていたので、善光寺から半里程(2km弱)離れた場所に建設された。長野駅は栗田村に設置されたものの、西側に乗降口ができたので、東側の栗田にとって恩恵は少なかった。
逆に、信越線と長野駅で村が分断された栗田は駅裏という印象で発展が遅れた。
また、栗田城と善光寺を結んだ栗田道、新潟県出雲崎と塩尻を結んだ北国街道も分断され、鉄道の西と東では随分景色が変わった。また、駅の敷地内にあった幾つかの史跡も移転を余儀なくされ、移転後は行方が不明になった物も幾つかある。
2.栗田道(善光寺道)
栗田城主であり善光寺別当(~1560年)であった栗田氏が往還した道である。栗田城の北側(栗田新道の栗田と七瀬の境付近。なおここには二枚橋があったと言われている)から北西に斜めに行き、北国街道(現在の中央通り)の栽松院の南で合流した。
3.栗田、芹田、水内郡
江戸時代及び明治時代始め頃までの、水内郡栗田村は、明治22年4月1日(1889年)、同郡中御所村、若里村、稲葉村、川合新田村と合併して芹田村となった。なお、芹田村役場は栗田に置かれた。
芹田村は大正12年7月1日(1923年)に吉田町、三輪村、古牧村と1町3村が長野市へ編入した。芹田村の歴史は34年間余であった。なお、芹田という名称は平安朝頃の水内郡芹田郷からつけたと思われる。江戸時代は公には芹田村という地名はなかった。
4.駅東口
信越線で分断され、乗降口もなかった栗田に、戦後ようやく長野駅東口が設けられた。
長野駅に近いという立地から、当時の国鉄、郵政局、営林局、電々公社等の官舎が建設された。昭和40年代からの高度成長期の時も、会社・事業所よりも貸家、アパート、マンションが増加し、住宅地として発展した。
5.産業
江戸時代、農村地帯で稲作を中心としており、名産の農産物はなかった。
信越線開通後も、終戦後も農村地帯であった。
昭和40年以降宅地化が進み、平成に入ると水田はほとんど見られなくなった。
区画整理が進展しており、平成30年度の完成後も「歴吏と文化」の町が守れるか。
→より詳しい、栗田の歴史についてはこちら
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